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川野惠子 博士論文公開審査 「17-18世紀フランスにおける模倣芸術としての舞踊概念の系譜と変容」

私が初めて主査を務める博士論文の一般公開審査会です。
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川野惠子 平成28年度学位請求論文「17-18世紀フランスにおける模倣芸術としての舞踊概念の系譜と変容 ―メネストリエ、カユザック、ノヴェールを中心に―」

主査 田中均
副査 藤田治彦
   山上浩嗣
   小穴晶子(多摩美術大学教授)
書面参加 ナタリー・クレメール(パリ第3大学准教授)

日時 2月10日(金)15:00〜16:30
場所 文法経済学部本館4階 461講義室
(下記アクセスマップの4の建物です)
https://www.let.osaka-u.ac.jp/ja/access

多くのかたがたのご来聴を歓迎いたします。
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日本シェリング協会第25回大会(2016年7月2・3日 京都産業大学)

総会および大会会場 
神山ホールセミナー・ルーム(2階)
※大会参加費 A会員1000円 B会員500円

2016年7月2日(土)

13:30-13:40 総会

13:40-14:20 一般発表Ⅰ
「「オルガノン・テーゼ」から「真と美の統一」へ―同一哲学の成立に関する一考察」
加藤紫苑 (司会:橋本崇)

14:20-15:00 一般発表Ⅱ
「リクールの悪論——人間の非合理性と情念、あるいは幸福の困難」
櫻井一成 (司会:加國尚志)

15:10-16:40 クロス討論Ⅰ
「シェリングの時代におけるオリエ ント観」 (司会:小田部胤久)

「レッシングとフリードリヒ・シュレーゲル――オリエント観をめぐって――」
笠原賢介
「生の根源への遡行-ゲーテ『ファウスト』の「母たち」について」
坂本貴志

16:40-17:30 特別報告
「イェーナのシェリング夫妻とゲーテ-近年のゲーテおよびロマン派研究に基づく三者の相互影響関係再構成の試み」
石原あえか (司会:伊坂青司)

17:30-18:30 公開講演
「シェリングにおける<宗教と哲学>-「脱自」と「無底」への遡行-」
森哲郎 (司会:伊坂青司)

18:30-20:30 懇親会
会場:ラウンジふるさと(神山ホール4階)
<懇親会費> A会員5000円 B会員4000円

7月3日(日)

9:30-10:10 一般発表Ⅲ
「ヘルダーリンの詩作品における„geschickt“および„schicklich“の用法」
梶原将志 (司会:武田利勝)

10:10-10:50 一般発表Ⅳ
「叡知界の創造論―シェリング『世界世代』を中心にして―」
茂牧人 (司会:森哲郎)

11:00-12:30 クロス討論Ⅱ
「フィクション理論の諸問題:意図と真実らしさ」 (司会:宮田眞治)

「フィクションの受容可能性におけるパラダイムの変化――近世から近代にかけての「整合性」と「真実らしさ」に即して」
桑原俊介
「作者の帰還? フィクション理論における意図主義をめぐって」
斉藤渉 

13:30-16:30 シンポジウム
「シェリングと西田哲学」 (司会:藤田正勝)

「自覚・意志・直観 ― 自由をめぐるシェリングと西田の一断面」
秋富克哉
「シェリングと純粋意志の哲学」
浅沼光樹
「自己愛と悪 ――カント、シェリング、西谷」
後藤正英

お問い合わせは、日本シェリング協会事務局まで。




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「待兼山芸術学会」(2016年3月26日)発表後アンケートの内容とお礼

3月26日の待兼山芸術学会で、「テアトロクラシーとその敵たち」という題で発表しました。

発表後多くの方からご質問を頂きました。ありがとうございます。

今回は、聴衆のみなさんにアンケート用紙を配布して、ご質問、ご感想を記入していただきました。

いただいた回答と私からのお答えを掲載します。

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1 この発表について良かったところがあればご記入ください。

「テアトロクラシーの語の定義が分かりやすく整理され、その変容の流れについてもスムーズに説明されていた。」

-ありがとうございます。「流れ」をどうまとめるかに最後まで四苦八苦していたので、「スムーズに」という言葉に胸をなで下ろしました。

「抽象的思考が皆無という人間にも、“概念史”という体裁をとりながらも、大変分かり易いものでした。
またパワーポイントも大変効果的だったと拝見しています。」

-ありがとうございます。パワーポイントはけっこう時間をかけました。ふざけ過ぎと怒られるかと心配でしたが…。

「まさに参加型のご発表でした!授業みたいで驚きました…先生のご発表に没入して、積極的に意見を考えることができました。」

-阪大に来て4年、内輪の研究会以外で学内で研究発表するのは初めでしたので、まず自分の研究テーマについてイメージをつかんでいただきたいと思い、授業のようなスタイルをとりました。


2 この発表について改善できるところがあればご記入ください。

「やや早口でした…
結局“民衆”と“観客”の差は、「演劇」が関わってくるか否か、ということでしょうか。
demosとtheatosの違いがややわかりにくかったので、予め説明していただけると有難いです。」

-恐れ入ります。授業のときもそうですが、今回も、ややゆっくりとしたペースで始めて、途中で制限時間が気になって早口になってしまいました。
「観客」と「民衆」とは、おっしゃるような意味で区別していました。前者は「演劇」(あるいは音楽、劇場、さらには「芸術」)が関わる局面で、後者は社会・政治一般の文脈で使うということです。
より精密に事態を捉えるために、用語法を洗練(あるいは細分化)させていくことの必要性を感じました。

「今回テアトロクラシーという語を用いた人物についてのみ言及されていたが、同様の議論を行っている人物もいるはず。他の言説にも触れることで、より深い「テアトロクラシーをめぐる論考史」になると思われる。」

-ご指摘ありがとうございます。今回は時間の関係もあり、「概念史」という方法論を前面に出して、議論の対象をかなり絞り込みました。もちろんそれらは論争史の中の氷山の一角に過ぎません。今後は点と点をつなぐ線が描けるように、その他の論者にも目を配っていきます。


3 そのほかご質問やご意見があればご記入ください。

「もしテアトロクラシーの定義の変化・転換が発表者の提示したもので間違いないとすれば、その転換期とは一体いつなのだろうか。ニーチェがヴァーグナー批判に転じた時期がそうなのか、又、その転換を生みだす背景となった政治体制はあったのだろうか。」

-鋭いご質問ありがとうございます。発表では詳しく触れられませんでしたが、ニーチェのヴァーグナー批判の背景には、彼のデモクラシーに対する、半ば批判的で、半ば達観にも似た態度があるように私は考えています。まだ一般的な言い方しかできませんが、19世紀に、大衆社会が後戻りできない仕方で到来し、デモクラシーが規範となった、そのような状況が契機となって、プラトン的な反「テアトロクラシー」からニーチェ的、さらにはベンヤミン的な反「テアトロクラシー」への転換が起こったと理解しています。

「集団的鑑賞と個的鑑賞という問題にも関して、御発表を伺いながら、常に頭にあったのは、H・アレントの言う“世界の共有”(彼女の言う“公共”)ということでした。彼女の“全体主義の起源”についての理解にテアトロクラシーという興味深い観点を頂戴したと思っています。」

-示唆を頂きありがとうございます。もともと関心の出発点として、『カント政治哲学講義』や『人間の条件』をはじめとしてアレントの議論は念頭にありましたが、改めて今回の発表との関係を考え直してみます。

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今後ともどうぞよろしくお願いします。
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待兼山芸術学会 第26回総会・研究発表会(3月26日13:30~17:30)

私も発表します。

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日時:2016年3月26日(土) 13時から17時30分まで
場所:大阪大学豊中キャンパス 501講義室(豊中総合学館)

《総  会》
13時から 

《研究発表 第1部》
13時10分から
朝鮮映画『迷夢』から見る朝鮮新女性に対する考察
―映像分析を中心に―
閔 スラ(美学)

14時10分から
カンディンスキーと革命後のロシア美術界
笹野 摩耶(美術史学)

《休憩》
15時10分から

《研究発表 第2部》
15時30分から
子どもとベートーヴェン
―近代日本の教育現場における逸話「月光の曲」―
山本 耕平(音楽学)

16時30分から
テアトロクラシーとその敵たち
田中 均(美学)

《懇親会》
18時から20時まで
(生協3階食堂にて)

https://www.facebook.com/machikane.philokalia/



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コンディヤック『感覚論』読書会・第22回(9月4日16:30~)

ほぼ一ヶ月ぶりになりますが、コンディヤック『感覚論』(Traité des sensations)を最初から読んでいくという読書会の22回目を行います。

9月4日(金)16:30から始めます。
場所は阪大豊中キャンパス、芸術研究棟3階の美学・文芸学共同研究室です。

前回(第21回)は、第1部第2章の第42節の第2段落まで読みました。

今回は、32ページ目(p.68-)、第2章第42節第2段落
(C'est la connaissance des corps odoriférans, ...)
から読む予定です。

複数の匂いが混ざったものから、要素的な匂いをかぎ分けることは可能か、という問題を立てて、人間の場合と、(嗅覚だけを使用できる)彫像の場合とに分けて検討しています。

いよいよ第2章も終わりに近づいてきました。

どなたでも参加できますので、関心のある方は田中までご連絡下さい。
h_tanaka(at)let.osaka-u.ac.jp
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